Hey!! My buddy!! What's up?


Life, I love you.                       All is groovy♪
by tsurumannen
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アホでケッコ-
単純明快 アホでケッコー
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サルでケッコー アホでケッコー

ア~ アホでケッコー
ア~ アホでケッコー
ア~ アホでケッコー

by Ulfuls 

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Of the people, by the people, for the people,

おは!
おっつです。
週末は楽しめたかな?
今週も始まったねえ!
充電した分気張って行こうぜ!オー!
・・・・・・。
今日はねえ、なんでアメリカって3連休だったんだっけっていう話をしようかな?
それってアブラハム・リンカーンジョージ・ワシントンの話なんだよ。
それから 独立戦争南北戦争の話しに繋がるんだよなあこれが!
・・・・・・。

アブラハム・リンカーン





それはね、第16代大統領・リンカーンの誕生日と初代大統領・ワシントンの誕生日が2月なので、それぞれの間をとって2月の第3月曜日プレジデント・デイという祝日にしているということなんだ。今年は2月20日(月)だったんだ。なんか合理的でアメリカ的でしょ。
 でも、それでなんでプレジデントといった時にブッシュレーガンじゃなくってこの2人なのって思うでしょ。それはねアメリカに住んでいるとキンダー・ガーテン(小学校付属の幼稚園)小学校で懇切丁寧にプロジェクトをやるんだよねえ。
・・・・・。
うん、じゃあちょっと僕もこのプロジェクトやってみようかな?(笑)

 リンカーン大統領の誕生日は2月12日
ケンタッキー州のひと部屋しかない丸太小屋で生まれた話は伝記で読んだ人も多いはず。僕はOhioに住んでいる時にそこに行って見たけど本当に馬小屋のような丸太小屋だったよ。
 1860年に大統領に就任した彼は翌年に始まった南北戦争では北軍を指揮して、1863年には奴隷解放を宣言したんだ。でもね、北軍が勝利を収めたわずか5日後、凶弾に倒れてしまったんだよね。それは1865年4月9日の事だった。彼は、ワシントンDCのフォード劇場で観劇中に撃ち殺された。暗殺者は、ジョン・ウィルクス・ブース、男優。その理由は、リンカーンが、南部を支援していると思ったというものだった。
彼が狙撃されたフォード劇場のむかいの家には、今でも彼の血のついたまくらが残されているらしいよ。
 このリンカーン暗殺時の新聞がなぜかデンバーに出張に行ったときに昼を食べたレストランの壁に貼ってあったよ。その時にバッファローバーガー食べながらこの新聞を見て140年前のアメリカにタイムスリップして感動したの覚えているなあ。
 もし、リンカーンがこの世にいなかったら、今日、合衆国は、一つの国ではなくって2つの国になっていたんだろうなあ。リンカーンは、アメリカが歴史上、困難な時期に大統領だったわけだよ。彼が大統領職につく直前、南部の7州が、合衆国から離れ、独自の国家を築こうとした。彼らは、それを、南部同盟(Confederate States of America)と呼んで、ジェファーソン・デイビスを彼ら自身の大統領として選出して2人の大統領がアメリカにいたわけだよ。アメリカは、二つに割れ、南北戦争が始まったわけ。
この南北戦争はアメリカ人にとっては日本人の関が原の戦いみたいなもので皆小学校の時とか勉強するみたいなんだ。
でも戦争って勝つものがいれば負けるものもいたわけで、いまだにノースカロライナサウスカロライナに行くと州旗の横にクロス十字の南軍の旗がはためいていたりするよなあ。
南は負けた事は凄く悔やんでいて上に書いているロジックは北軍の考え方だって根強く思っているのかもしれないね。アメリカは広いし色んな人がいるからスッパリと割り切れないね。
 そうそう、キング牧師"I Have a Dream"の話のところでも書いたけれど奴隷解放されてもアフリカン・アメリカンや有色人種の差別が法的に禁止されたのはたったの40年前なんだよ。
これも凄い事だよね。奴隷としては解放され$400とか$200で売られる事はなくなっても人間として人権を認められたのは解法宣言から100年後のことだったんだ。
100年後だよ
 George Washington





そうしてもう一つのエポック・メイキングなアメリカの中での戦争。
それは独立戦争。
イギリスの植民地だったアメリカがイギリスに対して血を血で洗う戦いをして独立した事件。
ワシントン大統領の誕生日は2月22日。バージニア州に生まれた彼は独学で戦術を学んで、軍隊に入った。1775年に独立戦争が始まると植民地軍最高司令官に任命されて、活躍し1789年の新憲法発布とともに、初代大統領に就任した彼は建国の基礎を固め「アメリカの父」として知られているわけなんだ。
彼の功績として知られているのは
第1に、独立戦争において13州が大英帝国から独立を勝ち取った時、最高司令官として戦った。
第2に1787年、アメリカ合衆国憲法制定会議を開いた時、大統領を務めた
第3に、合衆国において選挙で選ばれた最初の大統領だった。
     彼は、満場一致で選ばれたただ一人の大統領で 大統領職を2期を勤め、
     第3期目を辞退したんだ。
でもどちらかというとワシントンのお母さんが叱った桜の木の話のほうが有名かな?(笑)

今日書いた事ってアメリカ人にとってはトリビアな話ではなくって 何度も学校で勉強する常識なんだけれど日本人にとってみると目新しい事だったりするよね。

アジアから北のカムチャッカ半島を渡ってムースやマンモスを追いかけてネイティブアメリカンたちが住みついたアメリカ。
コロンブスのアメリカ大陸発見以降メイフラワー号を初めとして沢山の西欧の人たちが祖国を捨て安住の地として移住してきたアメリカ。
オハイオ川を境にフランス人とイギリス人とネイティブ・アメリカンが三つ巴の戦いをしてついには大英帝国の植民地となったアメリカ。
大英帝国に逆らって独立したアメリカ
プランテーション経営のために大量にアフリカ人を連れてきて一人当たり$200~$400で売買していたアメリカ。
自ら合衆国から離れ、独自の国家を築こうとした南部同盟(Confederate States of America)を破り統一の合衆国を貫いたアメリカ。
ゴールドラッシュを経てテキサスとカリフォルニアをメキシコから買収したアメリカ。
現在年間100万人の外国人移民を受け容れ急激にヒスパニック化、アジア化してゆくアメリカ。
Under the Godと言いながらもカソリックプロテスタントイスラムブディストも混在するアメリカ。
ユダヤマネー・オイルマネー・華僑マネーが渦巻くアメリカ。
中近東で戦争中のアメリカ。
・・・・・・・。
そして僕の大好きなアメリカ。

たまにはお風呂(ジャグジー)に入りながらこんな歴史の旅に思いを馳せてみるのも良いと思わない?

どう?




第16代大統領リンカーンが1865年南北戦争の真っ只中にゲチスバーグの激戦地を訪れて行ったスピーチ。この中の「人民の人民による人民のための政治」という考えは今でも民主主義の基本を述べたものとされているよね。

 Four score and seven years ago our fathers brought forth on this
continent a new nation cenceived in Liverty, and dedicated to the
proposition that all men are created equal.
 Now we are engaged in a great Civil War testing whether that nation
or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are
met on a great battle field of thar war. We have come to dedicate a
portion of that field as a final resting place for those who have gave
their lives that that nation might live. It is altogether fitting and
proper that we should do this.
 But, in a larger sence, we can not dedicate --- we can not consecrate
--- we can not hallow --- this ground. The breave men living and dead,
who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to
add or detract. The world will little note, nor long remenber what we
say here, but it can never forget what they did here.
 It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished
work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is
rather for us to be dedicated to the great task remaining before us ---
that from these honored dead we take increased devotion to that cause
for which they gave the last full measure of devotion --- that we here
highly resolve that there dead shall not have died in vain ---
 that this nation, under God, shall have a new birth of freedom --- and
that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.


 87年前我々の祖先はこの大陸にやってきて自由を望み、全ての人は平等
であるという命題を掲げた新しい国を作りました。
我々がこの大きな内戦を戦ったのはそのような理想を掲げた国が存続してい
くことが可能なのかが試されるものでした。私たちはその戦争の激戦地を
目の前にしています。そしてそのような国の存続のために命を捧げた人々の
安らかな眠りの場として幾ばくかの場所を作ろうとしています。これはまさに
しなければならないことです。
しかし大きな意味で言えば私たちは決してこの土地を決して捧げることも清め
ることも神聖なものとすることもできないでしょう。ここで戦い亡くなり或い
は生き残った勇敢な人達が既にこの土地を気高いものにしているからです。そ
して私たちがここで何かを言ったとしてもそれについて世界はほとんど記憶に
留めてはくれないでしょう。
私たちがむしろしなければならないのは、ここで戦った人たちの理想を更に
進めていくことです。私たちはこの目の前に残された仕事を仕上げなければ
なりません。この名誉ある死者たちが最大限の献身によってもたらしてくれ
たその結果を更に大きなものにしていかなければなりません。彼らの死が
決して無駄な物であってはなりません。
私たちがしなければならないことは、この国において、神の下に新しい自由な
社会を築いていくことです。そして人民の、人民による、人民のための政治は
決して地上から消滅してはならないのです。


 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
Of the people, by the people, for the people, _c0039520_13402798.jpg
今週も始まったね。
ゴリゴリ(笑)頑張ろう!オー!

by tsurumannen | 2006-02-22 12:30 | 英語交渉力
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